「早く、早く」、「負けるな、負けるな」、「もっと、もっと」──時間に追われ、人に急かされて、いつも頑張ってしまっている自分。しんどいのに、人を蹴落としてでも「私が、私が」と前に出ていかなければ、まわりから取り残されそうでこわい。ぎすぎすした世の中に、生きづらさを感じている人が増えています。
「もっと寛容になりましょう」。2024年、『不適切にもほどがある!』という宮藤官九郎さん脚本のテレビドラマが話題になりました。阿部サダヲさん演じるコンプライアンス意識の低い〝昭和のおじさん〟が令和の時代に突然タイムスリップして、昭和の時代にはまかり通っていた不適切発言で令和の人たちをかき回すヒューマンコメディです。その最終話で、宮藤さんが主人公に言わせたメッセージです。
いま求められているのは、まさに「寛容さ」だと思います。寛容とは、「相手を受け入れる」意味で使われていますが、無条件に受け入れるのではなく、お互いのよいところを認め、ゆずり合いの心を大切にすることです。
本書は、「ゆずる」がテーマです。「迷ったら、ゆずってみるとうまくいくものですよ」。こう、皆さんにお話しすると、こんな問いが返ってきます。「でも、ゆずるって、我慢しろということですよね」。電車で立っている老人を見て、座っている席をゆずらなかったら、ゆずったほうがよかったかなとモヤモヤする。でもゆずれば、我慢して立っていなければならない──。面白そうな仕事だけど、「やらせてください」という勇気がない。同僚がやりたいというから私は我慢してゆずってあげた──。
そんなことを想像して「ゆずる」のは我慢を強いられ、自分が損をすることだとネガティブにとらえているようですが、それは違います。
ゆずることはネガティブどころか、前向きな超ポジティブな行動です。ゆずることは手放すことです。やはり損じゃないかと思われますが、手放すと、その空いたスペースに「いいもの」や「いいこと」が入ってくるのです。これを、道元禅師は、「放てば手に満てり」と言っています。
電車で席をゆずったら、笑顔が返ってきた。同僚に面白そうな仕事をゆずったら、自分が苦労しているときに手を貸してもらえた──。自分から半歩踏み出してゆずることで、自分が気持ちよくなれます。そして、その優しい気持ちは皆に広がっていくでしょう。
もちろん、何でもかんでもゆずりましょうと言っているのではありません。ゆずるべきもの、ゆずるべきでないものの見極め方は本書でわかりやすく紹介します。寛容になれる人、それはゆずれる人であり、人生がよい方向に流れていく人だと、私は思います。