この本は、「本屋」でしか売らない、ということを前提にしています。
それはつまりAmazonのような「ネット販売」を基本的にはしないということです。
“基本的に”というエクスキューズをいれたのは、既存の流通の仕組み上、
ネット書店を含むすべての書店が仕入れをして在庫を持つことができるからです。
しかし、そういった「どうしても流れてしまう」ケース以外は、
電子書籍も含めて発売をしないでほしいということを出版社に伝えました。
これまた迷惑をかけているし、売上は下がってしまうかもしれません。
それでも今回、この施策をやろうと思ったのは、
僕自身が「本屋という場所が好きだから」という、とても自己中心的な理由からです。
僕は大学時代に、社会や学校とうまく馴染めず、悩み苦しんでいる時期がありました。
自分には価値がなく、自分の人生には意味がないのだと信じていました。
そんな時に、自分を世界に引き止めてくれていたのが「本」であり、
居場所をくれたのが「本屋」でした。
現在(2021年3月)、新型コロナウイルスの影響もあり、
多くの街の本屋さんも大変な局面にあると想像します。
しかしこの本が発売される頃には緊急事態宣言もあけ、
春を迎え、街にも少しずつ活気が戻ってきているはずです。
そのタイミングで、どうかあなたの「街の本屋」を訪れて、
できることならこの本を買ってもらいたい。
本屋に並んでいる他の本を手にとって、触れてみてもらいたい。
散歩がてらに書店に足を運んでもらい、
そこに流れるオリジナルの世界観を楽しんでもらいたい。
そういう思いからこの提案をしました。
これは同時に、「便利さ」へのカウンターでもあります。
資本主義や効率主義、成長主義へのアンチテーゼでもあります。
この数十年、社会は「便利」や「効率」や「成長」を追い求めてきたのだと思います。
その結果、社会は物質的に豊かになり、便利になりました。家にいてもボタン一つ押せば、
次の日には本を含むあらゆるものが手元に届く、そういう「便利な暮らし」です。
それはとても素晴らしいことなのですが、そこに依存しすぎた結果、
人の幸せや心の平穏に必要な「何か」が抜け落ちてしまっていると感じることもあります。
その「何か」とは、例えば「本屋に歩いて行ってみる」というようなことです。
たくさんの知らない本に触れ、紙の匂いに包まれて、
膨大な文化と歴史に触れるというようなことです。
その「何か」とは、感覚的で情緒的で「人間的」な「何か」です。
便利さを追求し、物質的豊かさを達成した社会において、
人々がどこか不自由に見えるのは、その「何か」が足りていないからだとよく考えます。
この本の中では、その「何か」を、「文化」と呼んだり「アーツ」と呼んだりしています。
本屋という空間には、その「何か」があると確信しています。
だから「不便」かもしれないけれど、「本屋だけで販売する」という選択をさせてもらいました。
どうかその「不便」を楽しんでもらえたら幸いです。
この本は「不便」が一つのキーワードになっています。
「縦開き」も普通の本とは違うので戸惑いや気持ち悪さを感じることもあるかと想像します。
Amazonで買えないことに憤りを感じる人もいるかもしれません。
でも時に、そういった不便や不合理な選択をすることが、
人間的な「何か」を取り戻すきっかけになりうるのではないか。
そんな微かな希望を抱いています。
株式会社DE 牧野圭太